武装した連合赤軍が、長野県北佐久郡軽井沢町の河合楽器保養所に10日間にわたり立てこもった「あさま山荘事件」は今月19日で、1972(昭和47)年の発生から50年を迎えます。
「世界同時革命」を唱えた「赤軍派」学生と、毛沢東主義の影響を受けた労働者も加わった「京浜安保共闘」が合体して、1971(昭和46)年に「連合赤軍」を結成。
潜伏中の群馬県妙義山中のアジトから逃走した連合赤軍の5人が72年2月19日、長野県北佐久郡軽井沢町の河合楽器保養所「あさま山荘」に立てこもり。管理人さんを人質に猟銃や手製爆弾で抵抗した事件でした。
2月28日に警察官が強行突入し、逮捕されるまでの10日間、長野県警察、警視庁の機動隊と銃撃戦があり大変な出来事で今も記憶に残ります。
警察官2名、民間人1名が亡くなり、連合赤軍が事件前に、メンバー12人を「総括」と称した集団リンチで同志を殺害していたことも判明しました。
この事件で新左翼運動は社会の共感を失い、若者の政治思想離れの要因にもなりました。
殉職警察官の慰霊祭が毎年開かれ長野県軽井沢町の顕彰碑「治安の礎」に追悼、哀悼の意を表します。
合掌。
【動画】「あさま山荘」所有者が内部を中日新聞が公開しました。