この記事は、AIが作成しています。
信州の下伊那地域は、過剰人口と農村の困窮を背景に、国策として推進された満蒙開拓事業で、国内で最も多くの開拓団を送出した地域の一つです。
その歴史と実情を後世に伝えるために、長野県下伊那郡阿智村には「満蒙開拓平和記念館」があります。
この記念館では、多くの犠牲者を出した悲惨な経験を、資料や写真、体験者の証言を通じて伝えています。
下伊那と満蒙開拓
送出数の多さ:
下伊那地方は人口問題が深刻だったため、満蒙開拓事業に積極的に取り組み、多くの開拓団を送り出しました。
これは全国一の送出数となることもあったと言われています。
開拓の背景: 当時の日本国内は昭和恐慌などの影響で農村が疲弊しており、農村救済策として、また満洲国の国防・食糧増産を目的とした国策として満蒙開拓が推進されました。
悲劇の歴史:
多くの開拓団は、ソ連参戦時に各地で孤立し、悲惨な逃避行や避難民生活の中で多くの犠牲者を出すことになりました。
下伊那からの送出数が多かったため、集団自決といった悲劇も多く発生したとされています。
満蒙開拓平和記念館
設立目的: 満蒙開拓団経験者の高齢化が進む中、開拓の背景や実情、そして敗戦後の過酷な引揚げを伝え、平和の尊さを考えるための施設として、下伊那の民間団体によって設立されました。
主な展示内容:
資料や写真による歴史の記録、体験者による貴重な証言の映像などが展示されています。
また、中国残留孤児の帰国に尽力した僧侶、山本慈昭氏に関する資料も展示されています。
所在地:
長野県下伊那郡阿智村駒場。
写真提供 ©️ja0hle
以下、飯田市役所HPから。
飯田・下伊那地域に、戦後70年以上経った現在も消えずに残る満州移民の傷跡。
聞き取りをした「満蒙開拓を語りつぐ会」は、今までに文字にして残されてこなかった満州移民の実態を明らかにして、歴史資料(アーカイブズ)として次世代に伝えてゆきます。
満蒙開拓を語りつぐ会は、地域に残る満州移民の記憶を聞き取り、満州移民送出の実態を明らかにし、体験者の思いと記憶を報告集にまとめ伝えています。
下伊那のなかの満洲 聞き書き報告集1〜10
水曲柳・松島開拓組合、上久堅・泰阜・川路の各分村、大古洞下伊那郷など、開拓団と義勇隊の体験者11名の皆さんの語りを収録しています。渡満・現地の生活・引揚げ、戦後の生活、再開拓、残留婦人として帰国するまでをそれぞれ語っておられます。
満蒙開拓を語りつぐ会編/飯田市歴史研究所発行
2012年、354頁、B5判、定価1,000円