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栄村地震10年最後の復興灯明祭

 長野県北部の栄村で震度6強の揺れを観測する地震が起きてから12日で10年です。村では復興を願う行事が開かれ、住民たちが10年の歩みを振り返るとともに、犠牲者を悼みました。東日本大震災が発生した翌日の平成23年3月12日、栄村では震度6強の揺れを観測し、700棟近い住宅に被害が出たほか、避難生活によるストレスなどで3人が死亡し、災害関連死と認定されました。地震から10年となる12日、村では復興を願う行事「復興灯明祭」が開かれ、会場には、住民などおよそ100人が集まりました。この中で宮川幹雄村長が「この10年、様々な思いを胸に歩んできた。全国からの支援や励ましには勇気をもらい感謝している。課題はたくさんあるが一歩一歩前を向いて村民と子どもたちと一緒に未来を作っていきたい」とあいさつしました。

そして、住民たちが黙とうをささげ犠牲になった人たちを悼みました。

また、「きぼう」の文字が彫られた雪のモニュメントや子どもたちが作った灯ろうに火がともされ、村のさらなる復興と今後の発展を祈りました。地震のよくとしから行われてきた灯明祭ですが、担い手の高齢化や復興が進んだことなどから、いまの形での開催はことしで最後だということです。当時、自宅が半壊した70歳の女性は「自宅が直るまでは村を離れなければならず、色々と辛いこともあった10年ですが、子どもたちが希望を持てる村になってほしい」と話していました。また、6年前に関東地方から移住してきた31歳の女性は「村に来る前は、災害のことは知りませんでした。子どもにも災害のことを伝えていきたいです」と話していました。この10年間、村では、壊れた道路や橋の復旧などが進み、被害の爪痕は目立たなくなっています。ただ、人口は4分の1減少し、基幹産業の農業の復興状況にも集落ごとに差が生じていて、災害からの復興を村全体の発展にどうつなげていくかが課題となっています。

 長野県北部の栄村で震度6強を観測した地震からきょうで10年となることについて阿部知事は「栄村のみなさまは避難所や仮設住宅での厳しい生活の中でも、常に協力しあい励ましあって、地域の絆を大切に復興の歩みを進めてこられました。県としては、今後とも村のみなさまと思いを共有しながら、安心して暮らすことができる活力ある村づくりへの取り組みをしっかりと支援して参ります」と談話を出しました。

地震によって村の基幹産業である農業が大きな被害を受け、村を離れる人もでました。

そうした中、このままでは集落を維持できないと危機感を強めた地区があります。

それから10年。いまでは若い世代が次々と移り住み、地区の取り組みは栄村の復興の象徴とも言われるまでになりました。千曲川沿いで13世帯39人が暮らす小さな集落、栄村の小滝地区は、地震の2か月後、雪がとけ、田んぼには地震によるひび割れや陥没が目立ちました。ここで、代々、コメを作っている(62)は、基幹産業である農業への打撃で村全体の活気が失われることを懸念していました。

当時、「田んぼを作れない農家が出て、その人たちが生きがいをなくしてしまったり村の外に行っている人たちの帰ってくる気力がうせてしまったりするのがいちばん怖い。なんとかここでいい道筋、方向性を出すことによって、それを栄村全体の復興につなげることができるかなと思っている」と決意を語っていました。急ピッチで復旧を進めた結果、よくとしの秋には再び黄金色の稲穂が実りました。「復旧でとどまっていてはいけない」と挑戦を続けました。地区のコメを「コタキホワイト」と名付けブランド化に取り組み、高い品質に加えワインボトルに詰めるスタイリッシュな売り方で付加価値を高め贈答用などとして販路を拡大したのです。さらに、地区のファンを増やそうと、被災した住宅を改装して交流拠点として整備しました。ボランティアや復興イベントなどで訪れた人が寝泊まりできるようにすると、ユニークな取り組みが話題を呼び東京などから若者が小滝地区を訪れるようになりました。そしていま、地区のすべての世帯が加入して立ち上げた合同会社「小滝プラス」では、地震のあとに移り住んだ若い人たちが働いています。

栃木県出身(37)は小滝地区の魅力にひかれ、震災の4年後、妻とともに移り住み、その後、2人の子どもにも恵まれました。「小滝地区には、ひと言で言うと、前向きでエネルギッシュな人たちがそろっている。おいしいお米をこれから先も引き継いでいけるよう、私自身もその一員になれるよう自分で努力していきたいし、一緒にここの地域を盛り上げていけたらなと思う」と話しています。また、「縁あってこちらに来ましたが、すごく豊かな自然に包まれていて、小滝の人みんなに育ててもらってるなというのがすごくありがたい」と話していました。ほかにも地震のあと移住したり戻ってきたりした若い世代がいて、地区ではこの10年で子どもが7人産まれています。

地震のあと、300年後に集落を引き継ぐという新たな目標を掲げました。地震によって気づかされたことがあり、その活動や取り組みを共有していきたいと考えています。

「地震のときはどん底で真っ暗闇だったが、いまは光っている。10年取り組みを続ける中でみんなここでの暮らしを誇りを持って楽しんでいるからだと思う。地震のあと多くの人と出会って交流できたことがいちばん大きいと感じている。小滝のこの10年間の取り組みが、村全体やほかの被災地の何らかの参考になってくれればありがたい」と話しています。

栄村では、10年前の地震のあと、被災した民家の蔵などの建物から多くの古文書が見つかりました。その中には、地震の教訓をいまに伝えるものもあります。このうち「栄村歴史文化館こらっせ」で保管されている絵図には、170年余り前に1万人もの死者を出したとされる「善光寺地震」で、村内でも大きな被害がでたことが記録されています。描かれている山の1つには「山抜場所」という文字が記されています。

これは山崩れがあったことを示しているということです。栄村教育委員会生涯学習係は「10年前の地震を機に先人が残してくれた記録が見つかった。災害はくり返されるということを後世に伝えていくのがこの古文書の役目だと思う」と話しています。

10年前の栄村の地震は、前日の東北沖の巨大地震によって断層に加わる力が変化して引き起こされました。そして、絵図に記されていた170年前の善光寺地震も一連の断層帯の中で発生した活断層による地震です。そのほかにも県内には多くの活断層があり、なかには国の地震調査研究推進本部が地震が起きる「切迫度」が高いと評価しているものもあります。

地質学が専門で活断層に詳しい信州大学の大塚勉教授は、「信州で暮らす私たちは活断層と共存している。活断層から離れた場所でも軟弱な地盤が厚い場所では地震の揺れが増幅されて被害が大きくなることがある」と指摘しています。その上で、「東北沖の巨大地震によって栄村などの各地で地震が誘発されたが、まだ十分収まっていない可能性がある。これからもマグニチュード6、あるいはそれ以上のクラスの地震が起こる可能性があると念頭に置いて、古い住宅では1階で寝ないようにするなど生活スタイルを変えていく必要がある」と指摘しています。

2021年03月12日 NHK長野放送局 19時40分放送分記事

 この度の石川県能登地方を震源とする「令和6年能登半島地震」により、被災された皆様ならびにそのご家族の皆様に心よりお見舞い申し上げます。  皆様の安全と一日も早い復旧、復興がなされますことを心よりお祈り申し上げます。 

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