(左)飯田水引「髪飾り」、(右)木曽漆器繧繝塗「お椀(スープカップ)ペア」=県提供 |
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今夏の東京五輪・パラリンピックで来日予定の各国首脳らに贈る大会記念品に各地の伝統工芸品が選ばれ、県内からは「木曽漆器」と「飯田水引」が選ばれた。伝統を守りながら新しい技法を取り入れたことが評価されたとみられる。
木曽漆器は、お椀(わん)(スープカップ)ペアに木曽地域の伝統工芸士が考案した新技法「繧繝塗(うんげんぬり)」を取り入れた。一度しか上塗りせず、朱と黒が入り交じった模様で彩られる。飯田市周辺で作られる飯田水引は髪飾りとして、洋装にも合わせられるようにした。
大会記念品は昨年五月、東京都と大会組織委が、伝統工芸品を世界に発信するために全国に募集し、両者でつくる選定委員会で各地の伝統工芸品九十五品目を選んだ。県は木曽漆器、飯田水引の職人らと連携して記念品の製作を進める。
中日新聞 長野版 2020年3月15日付
写真提供 まる又漆器店(木曽平沢)
飯田元結の起源については諸説あるが、飯田藩主堀親昌が殖産興業の一環として昔から和紙作りが盛んであった飯田の飯田和紙に付加価値をつけるため、下級武士や町人・農民に、製造法を習わせたのが始まりと言われている。飯田の元結は、もともと品質の優れていることで評価を得ていたが、江戸時代に元結製造が始まった。美濃国から紙漉き職人の桜井文七を招聘し、元結製造に改良を加え丈夫で水にも強い飯田台帳紙を活用した光沢のある丈夫な品を作り出すと文七元結[1]として全国にその名を知られるようになった。同様の製法で作られる水引は副業に過ぎなかった。明治維新の断髪令により、元結の消費量は少なくなったが、昭和時代になると水引の結び方もさまざまな結び方が開発され金封、結納品、水引細工の生産が増え、現在では全国の70%の水引の生産高となっている。
出典:Wikipediaから。